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田舎のおばさんの日々の暮らしを綴っています。ハンドルネームは菊です。


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白内障の手術・・・・1

白内障の手術をして1週間・・・術後の検査に行って来た。
考えてみたら、目が何となく見づらくなって、病院通いを始めたのは、あの「3・11」の頃だった。
それまでも、内科でかかっている総合病院の眼科では、定期的に検査をしてもらっていた。
かすんで見えにくいとか、目に小さなゴミのようなものが見えると訴えても、その眼科医はあまり真剣に聞いてくれなかったし、目薬も処方してくれなかった。
震災のニュースのTVのテロップの字が見えなくなって、これはただ事ではないと、別の眼科医院に行った。
白内障がかなり進んでいるし、目の奥に別の病気があるようだと言われて、とてもショックだった。
総合病院の眼科はそれまで2人の医師がいたが、その頃は一人で週に2日の診察で、もの凄く混んでいた。
予約をして3時間待って、診察は1~2分で、質問しようとすると、次の患者さんが呼ばれて入ってくる状態だった。
忙しいのなら、他の眼科に変わることを言っても良いのにと、情けないのと腹が立った。
個人の開業医の先生は、(そこもとても混んでいたが。)うちでは精密な検査が出来る機械がないからと、病院への紹介状を書いてくれた。
紹介状を貰っては、病院を代わり・・・・待合室では震災のニュースと、こんにちは、ありがとうの歌とウサギやライオンのアニメ、仁科明子さんの子宮がん検診が繰り返し繰り返し流れていた。
そして、今回手術をして頂いた病院に行きついた。
でもどこの病院も、私が初めかかっていた病院とは比べ物にならないほど、親切で丁寧に説明してくれたし、紹介状も取りに来るのは大変だろうからと郵送してくれた。
目の奥の病気は「卵黄様黄班変性症ジストロフィー」と言う病気で、加齢黄班変性症と良く似ているけど、それより下の膜で、今のところ、治療法がないとのことだった。
加齢黄班変性症なら、レーザーで焼いたりして治療が出来るのだそうだけど。
私の病気は進行はしていくけど、急激にではなく、じょじょにだそうだ。
医学書の写真や、眼球の模型で説明してもらった。
私にとって、とても絶望的な宣告であったはずだけど・・・・・。
自分でも驚くほど冷静に、それを受け入れた。
「3・11」が多分に影響していたと思う。
あの津波の映像や、震災の大きさを知るにつけ・・・・・生きると言うことは、何と理不尽なことを受け入れなければいけないのだろうと思った。
自分がこの年になるまで、多少の病気はしても、まあまあ健康で生活してきたのだし、これから先、多少の不便はあっても、なんとか自分のことが自分で出来ればよいではないか。
考えてみれば、子育ても終わり、もう老後である。

白内障の手術は、目の奥の病気を刺激すると怖いので、暫くは、目の奥の病気の経過観察をするということで、毎月検査に通うことになった。
そして進行していないので、白内障を手術することになった。
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by kikutukuri | 2012-02-27 22:23 | 老いと道連れ(終活) | Comments(6)

入院生活・・・・1

入院生活は、とても楽しかった。
同じ日に手術した、おばさん3人同室で、毎日おしゃべりをしては笑い転げていた。
Nさんは86歳だそうで、しっかりしていて10歳は若く見えるおばぁちゃん。
Tさんは私より少し上で(年齢は教えてくれなかった。)詩舞の先生をしているそうだ。
目の手術なので、手術前でも普通に食事が出来たし、術後1時間安静にしていればよいのだ。でも3人共とても緊張していた。
私は、入院前に外来で、隣に座った私と同年代の男の人から、「水を目に掛けられて、眩しい光を見ていたら終わってしまった。時間にしたら10分くらいで痛くなかった。」と聞かされていたので、落ち着いていた。
手術着に着かえて、点滴をしながら、車いすでオペ室に向かう。
私が一番目に手術だった。
本当は気が小さい私は、一番でラッキーだと思った。
血圧計を腕にまかれ、心電図のシールを胸に貼って、手術台に横になる。
水を目にかけられている感じで、水底から、眩しい光を見ているようだ。
ちょっと不快感がしたけど、こんなこと?というくらいで手術は終わり。
車いすで病室に連れて行かれる時、オペ室の前で不安そうな顔したTさんが自分の番を待っていた。
私は思わず笑ってピースをした。
後からTさんに、私の様子を見て、心配するほどではないのだと気が楽になったと言われた。
Nさんは、病気とは無縁で、入院するのは初めてだそうで、初めのうちはとても緊張していたので、送って来た家族の方達がなかなか帰ることが出来なかった。
実家の母より2歳年上なので、「実家の母と同じだから、母だと思って見ていますから大丈夫ですよ。」と言ってあげた。
右目の手術が済んで、左目は3日後だ。
私たちがいたのは眼科の病室なのだそうだけど、内科のSさんがいた。
ずっと一人でいたので、やっと仲間が出来たとうれしそうだった。
Sさんは70歳だそうで、暮れに意識を失って、それからずっと入院しているそうだ。
糖尿病で、インシュリン注射を自分で打たなければならず、それに慣れるまで退院は出来ないのだと言っていた。
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by kikutukuri | 2012-02-27 20:47 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

不安

日本中が、地震で毎日あちらこちらで揺れているような気がする。
今度は、東海、東南海、南海地震が3連動しておこるだろうと言われている。
でも最近は、首都圏直下型地震が4年以内に起こるそうで、地震の危機感などは首都圏に集中している。
あの「3.11の震災」から今に1年になる。
あの津波の映像は日本中を震撼させた。
それまでも、海外の大津波で人や建物、車が流される映像は見たことがあったが・・・・。
まさか日本では起こらないだろうと思っていた。
TVのニュースを見ていても、これって本当のこと?と信じられなかった。
でもあれから、どこに住んでいても、絶対安全は無いことを知った。
私の住んでいる町は、半島の中では一番海抜が低いのだそうだ。
あの東北の津波
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が襲ったら、ひとたまりもないそうだ。
最近になって、電柱のあちこちに、海抜を示すものが取りつけられた。
我が家の近くの電柱は、海抜7.3になっている。
町内では高い方である。
私の家は、そこから少し坂を上がるから、ほんの少しは海抜が高くなる?(そこの1mやそこら大したことないけど。)
あの地震から、リュックも買って、時々は中身を点検したり、中に入れる物も増やしていった。
寝袋も買った。
災害後、電池が売り切れて買えなかったので、手動で携帯に充電したり、懐中電灯もつく、ラジオも買った。
非常食も、飲料水も、夫と私のリュックに入れた。
薬の処方箋も、保険証のコピーも、家族やお友達の連絡先のメモも入れた。
これが遊びに行くための用意なら、どんなに楽しいだろう。
非常時に備えての用意は不安だけだ。
これが役に立つことは無いように願いながら。
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by kikutukuri | 2012-02-10 22:32 | つれづれ | Comments(2)

今日は調子良いぞ~!

ここ数日、パソコンの前でハラハラドキドキして、諦めの境地に至っていた。
写真が取りこめない。
2回ほど、電源を切ってやりなおした。
そしてやっと取りこんだ画像のサイズを小さくすることが出来なかった。
昨日は電源を入れても、しばらく真っ黒の画面で、その時間の長さに電源を切ろうとしたら切れない。
諦めて、そのままに他のことをしていた。
それでも気になってパソコンを見たら、「スタートアップ修復」と噴き出してきた。
指示に従ってやればよいだろうと、やっていると「エラーがおこりました。」と出てくる。
電源を切っては入れして、やりなおす。
それが良いのだか、悪いのだかもわからない。
壊れてもいいや~と、開き直ってしまった。
修復が終わったら、今度はアップデートが出てくる。
これも指示通りにしながら、3度ほどやり直し。
半日パソコンンの前に座っていた。
でも、奇跡か~~!???
パソコンのご機嫌が良くなった。
急いで、ブログをまとめて更新する。
ご機嫌損ねないうちに、やらくちゃぁ~。
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by kikutukuri | 2012-02-08 23:53 | つれづれ | Comments(0)

小さな贅沢

我が家は仕事の関係で、夫婦で旅行などは行くことが出来ない。
どちらか一人が残って、ハウスの管理をしなくてはいけないからだ。
それに、コンサートのチケットも買っても、その日が集荷最盛期になれば無駄にしてしまう。
市の主催のチケットも何枚か無駄にしてしまったので、最近は行かないことにして買わない。
でもそれじゃ、つまらないよ~!
若いころは毎月、コンサートや映画に行っていたし、旅行も親から「そんなに旅行ばかり行くのなら、リュックを背負って家を出て行きなさい。」と叱られるほど行った。
若いころに、一生分楽しんでしまったのかな~?
時間的に自由にならないのなら、本代やCDくらいは惜しまないさ。
「綾小路きみまろ」のCDと「コドモクニ名作選」を生協のカタログで注文した。
TVで見るより、耳で聞くだけでは可笑しさも少し減るけど、面白い。
ばかばかしいけど、笑うことはストレス解消になる。
「コドモクニ名作選」は、初山滋や、武井武雄の絵が見たかったから。
子供の頃、幼稚園のキンダーブックという絵本で、忘れられない絵がある。
イソップ童話の挿絵だったと思うけど、子供がお菓子のビンに手を入れて、つかめるだけキャンデーを掴んで、手がビンから出すことが出来なくなっている絵。これは武井武雄だと思う。
そして、小学校1年の頃に買ってもらった「アンデルセン童話」の「赤い靴」の初山滋の挿絵。
その当時に誰が、その挿絵を描いたかは知らなかったけど。
独特のタッチが記憶の中で覚えていて、大人になってから知った。
子供心に美味しいキャンデーはつかみきれない程欲しいし、貧しい少女が、お金持ちのおばあさまの養女になって、赤い靴を買って貰い喜んではくのは、その少女のように嬉しかった。
どうして神様は、少女に罰を与え、靴が脱げないようにしてしまって、踊り続けるようにしたのか納得がいかなかった。
アンデルセンが敬虔なクリスチャンであることを知ったのは、高校生になってからだった。
子供頃見た、きらびやかな絵本の世界・・・・もう一度そんな頃の空気が吸いたくて。
でも、この本は、私の父や母が子供頃の本や、それより以前の子供の本だった。
こんなに斬新で夢がある挿絵が昔にもあったのだと驚いた。
この本は、暫く眺めたら、次女にプレゼントしようと思う。
次女が学生の頃、武井武雄の復刻版の絵本をプレゼントして、喜んだから。
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by kikutukuri | 2012-02-07 23:01 | つれづれ | Comments(0)

貝祭り

フラワーセンターの跡地で「貝祭り」をやっているので、お昼を兼ねて、夫と出掛けた。
アサリは今頃からお雛祭りの頃が一番美味しいのだそうだ。
今年は寒いのか、いつもなら満開で黄色い絨毯のような菜の花もまばら咲きで、なんとなく寒々している。
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軽トラ市で、野菜や果樹の販売もあるそうなので、夫は「アサリの押しずし」を買ってお昼にしようと、楽しみに出掛けた。
まずは、「焼き大あさり」を買って、ベンチで食べる。
これは、よそから来たお客様にご馳走すると、大抵の人が感激する。
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「あさりの味噌汁」は無料で、おかわりも自由だそうだけど、一杯で十分に美味しかった。
リンゴや、トマト、さやえんどうなど買って、「押しずし」を探したけどない。
もう売れてしまったようだ。
確か海岸前の食堂で、お友達と食べたことがあったので、そこへ行った。
だいぶ待たされたけど、おいしい「アサリの押しずし」が食べられた。
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by kikutukuri | 2012-02-05 22:42 | つれづれ | Comments(2)

大船渡から

昨年、ネット友の花さんに教えて貰って「手作り応援隊」で、毛糸や布、手芸の本などを被災地へ送った。
私の目が視力低下で、思うように手芸が出来ないので、活用して貰えたらと。
黒さんのクリスマス企画にも参加させて貰ったけど、手作りにあまり協力出来なかったので。
材料なら、押し入れの中に沢山あるし、これ全部を自分で消化出来ないし、これ以上に目が悪くなったら手芸はもう出来ないだろうと。
その荷物のお礼の電話が暮れに来たのだった。
「お正月も近いけど、仮設ではそんなに掃除する部屋も無いし。集会所で集まって手芸をします。」と言っていた。
雪の積もる仮設住宅は寒いだろうなと、返す言葉も無かった。
それでも炬燵に入ってミカンでもと、大晦日の前日に急いで送った。
被災地の人の生の声・・・・・自分が出来ることは小さいし、そんなに多くの人の為に出来る力は無いけど。
こうして縁が繋がった人と交流するのも良いではないかと思った。
「ワカメと干し柿を送ります。」と電話が来た。
「そんな気を使わなくても良いですよ。」と言ったら「干し柿は自分が作ったものだし、初物のワカメが取れる頃になったので、食べて下さい。」
今日、荷物が届いた。
沢山の干し柿とワカメ、フカヒレスープの素と、干したイカも入っていた。
何だか涙が出てきた。
さっそく、ワカメはしゃぶしゃぶにしてご馳走になった。
地震や津波で大変な思いをして、これからも厳しい冬を越さなくてはいけないのに。
Aさん、ありがとうございました。
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by kikutukuri | 2012-02-04 22:15 | Comments(2)