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田舎のおばさんの日々の暮らしを綴っています。ハンドルネームは菊です。


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クリスマスプレゼント

拓ちゃんのクリスマスプレゼントに、バァバは大きなサンタブーツと指人形を作りました。
退院してきてから、ずっと出荷が続いて、気がついたらもうクリスマスがせまっていました。
のんびりなんかしていられない~!
急いで作った指人形5つ。
本当はもっと色々作りたかったけど、とりあえずです。
クリスマスが済んでも、これからすこしずつ増やしていくつもりです。
「ぞうさん」の歌が好きな拓ちゃんの、歌いながら遊んであげられるように、ママのぞうさんとぼうやのぞうさんを作りました。
指人形は、バァバの音痴な歌つきです。(笑)
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急いで写真を撮ったので、ブタさんの口に切れっぱしがついているのに気がつきませんでした。
サンタブーツは、売っているのは、まだ拓ちゃんは赤ちゃんなので、中のお菓子が食べられません。
それで、バァバは大きなブーツを作って、拓ちゃんが食べられる赤ちゃん用のお菓子をいっぱい入れてあげました。
なにが入っているか、興味津々の拓ちゃんです。
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ジィジとバァバはお寿司と、オードブルを持って行ったので、ママがサラダとスープとケーキを作って用意してありました。
サラダとスープは、味付けは薄味だけど、見た目は拓ちゃんも大人と同じです。
お寿司の代わりにお粥です。
拓ちゃんは大人と同じなので、大満足で興奮して、沢山食べました。
ママが作った生クリームの代わりにヨーグルトと刻んだフルーツを乗せたケーキ、美味しかったね。
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写真はマッシュポテトで作った、スノウマンのサラダです。
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by kikutukuri | 2009-12-25 20:57 | 孫ちゃん | Comments(2)
点滴スタンドを引きずっての1週間は、シャワーも、外出も、洗濯も出来なかった。
自由の身になった時、同室の仲間はみな、私より若い人ばかりになっていた。
朝のおはようの挨拶の後は、決まって「もう出た?」だった。

2時の検温が済むと、連れだってお散歩に出掛けた。
クリニックの周りは畑に囲まれていて、車の通りも少なく、病室の窓からも犬を散歩させている人がよくみられた、
大抵4~5人で出掛けた。
東側へ行くと、ロー〇ソンがあるし、西側へ行くと〇ークルKがある。
「今日はどっちへ行く?」と話しながら、〇ーソンへ行くことの方が多かった。
コンビニで買い物をして帰ってくると30分くらいかかる。
畑の中に新築の瀟洒な家がポツンポツンと建っている。
「このおうちは雑誌に出てくるように素敵だね。」とか「ここはカフェでもやれそうな建て方だね。」「日当たりが良くて、こんな素敵なおうちに住みたいね。」とおばさん達は話しながら歩く。
「こんなおばさんの団体が歩いていると何だろうと思うよね。」
「クリニックの看板が見えるから、そこの患者だと思うよ。」
「でも〇ーソンのすぐ傍にも同じ肛門科の医院があるから、どっちの患者か分からないよね。」
「どっちにしても黄門さまご一行だよね。」と言いながら笑う。
お散歩でコンビニに行く目的は、ヨーグルトを買いにいくことなのだ。

「いくら仲の良いお友達でも、この病室で話していることなんか話さないよね。」と笑った。
そうなのだ。
生きていくためにはとても大切な排泄に関する話なんてしない。
どうしたら、お通じがよくなるかとか、お通じが良くなる食べ物や、料理なんて。
クリニックの食事は、いつも美味しかったし、野菜や魚が中心の食事だった。
副菜の小鉢は、家に帰ってからの調理のヒントになるものばかりだった。
気がつくとメモをしたけど、毎食メモを取っておけばよかったと、後から気がついた。
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by kikutukuri | 2009-12-23 20:20 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

入院生活 勉強会その2

2回目の勉強会は「大腸」のお話だった。
ポリープや、大腸癌の話で、これも笑っている間に時間が過ぎた。
女性に大腸がんが多いのは、恥ずかしいという気持ちが、早期発見を遅らせているからだ。
入院患者だけでなく。もっと広く聞く機会があれば、排泄の大切さや、大腸検査も進んで受けるようになるだろうにと思った。

痔は国によってはならないのだろうか?
「何か質問がありますか?」と言う勉強会が終わってから、気になりだした。
診察の時に聞いてみた。
答えは、日本人でもアメリカ人でも、アフリカ人でも、どこの国の人でもなるそうだ。
食べ物との因果関係は分からないそうだ。
「でも海藻や野菜などの食物繊維の多い物を食べていれば便秘にならないから、まんざら関係ないことはないよね。」と同室の人たちと話した。

動物はならないのかな?
退院してから、ネットで検索して調べてみた。
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by kikutukuri | 2009-12-23 19:41 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

入院生活 勉強会

私が入院したクリニックでは毎週金曜日の夜に勉強会があった。
これは「痔」のお話と「大腸」のお話の2回あった。
ほぼ強制的で、ちょうど入院した日によっては、出席出来なかった人は、退院してからでも聞きに来るようにすすめられていた。
私は月曜に手術したのだが、1週間ばかり調子が悪かったので、本音では「何だか面倒くさいな~。」と思っていた。
最初の会は「痔」のお話だった。
先生のユーモアたっぷりのお話は飽きることなく、あっと言う間に時間が過ぎた。
先生のパソコンをTVに繋げて、色んな痔の写真や、手術の様子なども見せてもらった。
排泄の大切さも改めて感じた。
「私は高齢者で余命が後2年しかないという人でも、残りの2年を快適に過ごして貰うために手術をすすめます。」と言われた言葉が印象に残った。

私が入院したばかりのころ、同室にはMさんとToさんがいた。
二人は私より年上で、Mさんは明るくて面倒見が良い、リーダーシップがとれる人だった。
Toさんはもの静かな人で、いつもカーテンを閉め切って、ほとんど人と話をしなかった。
「昼間は出来るだけ、人と話をしたりしていないと夜眠れなくなるよ。」と言って、Mさんはカーテン越しにいつも話しかけていた。
Mさんは、体調が悪くて落ち込んでいる私にも、「ほらここへきて、太陽にあたりなさいよ。」と気を使ってくれた。
そのToさんが、勉強会の後は何だか明るくなって、話をするようになった。
Toさんとは6日ほど一緒で、退院して行った。
後から聞いたことでは、術後の調子が悪いのではないかと、一人で取り越し苦労をしていたそうだ。
入院する前にネットで色々調べて、悪い方ばかりに考えていたようだ。
それが勉強会で払拭されたそうだ。

Toさんが退院する時、「それなら海外旅行から帰って来たように見えるから大丈夫!」とMさんが太鼓判を押す。
Toさんはお洒落な人らしく、素敵な服装でブランド物のボストンバックを下げていた。
{でも頭が白髪も見えるし、ボサボサで・・・。」と言うToさんに、「そんなもの帽子をかぶればわからないよ。」とMさんも言う。
Toさんが入院するのは内緒で、近所の人に聞かれたら、海外旅行に行っていることにしていたのだそうだ。
それをご主人が間違えて、親戚の人に聞かれて、海外旅行と言ってしまったとか。
親戚の人も、そのうち海外旅行のお土産が届くと待っているねと大笑いだった。
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by kikutukuri | 2009-12-23 19:22 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)
Mikaさんとの会話は、お互いに通じなくて笑顔でうなずいてごまかすこともありました。
日本へ来て2年になるけど、ご主人以外は、パートで働いている所も中国の人が多くいて、ほとんどその人たちとの会話なので、日本語に触れる機会は少ないのだそうです。
日本語の教科書を開いては見ていました。
よく知らない国へ来て、言葉も通じなくての入院はさぞ心細いだろうと思いましたが、彼女はとても明るくて、病室の人気者でした。
朝7時と午後2時に検温があって、元気になれば少しの外出も許可されます。
Mikaさんは2時の検温は、計った体温計をベッドに置いて、迎えに来た中国のお友達と、夕食前まで外出でした。
「また、Mikaさんが脱出した~!」とよく笑いました。
中国のことや、家族のことを聞くと、とても嬉しそうに話してくれます。

Oさんが言います。「自分の妹や弟には、妹さん、弟さんとさんをつけてはダメ。自分の主人はご主人ではなくて、主人でいいの。」
「シュージン」とMikaさんが言います。
「違う、違う、シュジン。シュージンはこれ。」とOさんが両手を揃えて手錠に繋がれた格好をします。
「シュージン、囚人・・・中国でも同じに言う。」とMikaさん。3人で大笑いです。

どうしたら上手に会話が出来るかな。
漢字は中国も同じだから、漢字の意味もそんなに違わないだろう。
メモ帳に思いつく漢字を書いて、「これは中国ではどう読むの?」と聞きました。
家族の名前を書いて、「中国語で読んで。」と頼みました。
孫の拓ちゃんは中国では「トゥハイ君」と読むそうです。
WさんもMikaさんに中国語の個人レッスンを受けていました。

3食昼寝付きの優雅な生活に、体重が少し増えたのが、みんなの悩みでした。
一番若いMikaさんも、お腹に肉がついたと言って、病室が消灯後は、食堂に行って一人でTVを見ながら、よく踊っていました。
食堂は消灯後1時間はTVを付けていても良かったのです。

「Mikaさん、ウエストが細くなる踊りを教えて~!」と、同じ部屋のおばさん達が、Mikaさんの真似をして、手をあげ腰をひねって真似をします。
開け放した病室の前を通る看護師さんや、患者さんが覗いて行きます。(笑)

Mikaさんが退院して行くとき、「サイチェン(再見)」と言ってお別れしました。
早く日本語が使えるようになると良いね。
いつまでも元気で明るいMikaさんでいてね。
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by kikutukuri | 2009-12-19 22:23 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)
入院生活を少し書いていこうと思います。
手術後数日は、体調も思わしくなく、大人しく過ごしていました。
でも日にち薬で、体力が回復してくるにつれ入院生活も楽しめるようになりました。
総合病院の6人部屋では、それぞれの病気も違って、同室とは言えカーテンを閉めたままで、お互いの迷惑にならないように気をつけるところですが・・・・・。
私が入院したのは、肛門科のクリニックです。
そこは同病で同じ痛みを分かち合った仲間です。
誰かしらカーテンを開いて、そこへ集まりおしゃべりをしていました。

同じ部屋に、私より1週間先に手術した、中国人のMikaさんがいました。
MIkaさんが一番若かったです。
日本人と結婚して、日本に来て2年目だそうで、日本語も片言です。
毎日、ベッドで中国語の日本語教科書を見ていました。
でも彼女はいつもニコニコと笑って、人懐っこかったです。
「日本語は難しい。」が口癖でした。
食事は食堂へ行くのですが、私はいつも、同じ日に手術をしたOさんとMikaさんの3人で同じテーブルに座りました。
食事をする前に、「頂きます。」と私が手を合わせるのを、Mikaさんも笑って真似するようになりました。
私が点滴スタンドを引きずっている間は、食器の後片付けを、いつも笑ってやってくれました。
そして「ご馳走さま。」と言うと、「どうして様をつける?分からない。御苦労さまもお疲れ様も様が付いている。」と言うのです。
そんなこと今まで考えたこともありませんでした。
どう説明したら良いのか・・・・???
退院してから、広辞苑で様を引いてみました。
「様をつける・・・敬うが上にも敬う」・・・これでは私にも分かりません。
様をつける・・・労りや感謝の気持ちを込める・・・こんなことで良いのかな~。

挨拶も日本語は「おはよう、こんにちは、こんばんは」と時間で使い分けるけど、中国では「ニーハオ」で全てすんでしまうと言うのです。
「ありがとう・・・シェイシェイだし、さようならはサイテェン」だと。
確かに日本語ではそうした言葉の意味を、色んな言葉で表現します。
何だかとても新鮮な会話でした。

でもMikaさんと二人での会話は、日本語がよくわからないので、気を使って疲れてしまいます。
だから、いつもOさんと3人での会話でした。
Mikaさんとおしゃべりした後は、Oさんも片言の日本語になってしまって、「Oさん日本語が可笑しいよ。」と注意してはよく笑いました。

Mikaさんは、煮魚が嫌いなようで、煮魚が出ると「甘い~!甘い~!」と言って、喉元を気持ち悪そうにさわります。
Oさんが「甘い~!はダメ!体に良いのだからね。美味しい、美味しい!」と世話をやきます。
唐辛子を効かせた料理が食べたいらしく、「そんなのはダメ、ダメ!お尻が火を吹くよ。」
「でも子供の頃から唐辛子を使った料理を食べ付けていたら、私たちが思うほど、体にダメージはないかもね。」と私も言いながら、笑い転げていました。
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写真は食べ掛けではありません。
ご飯が多いので、私はいつも半分に減らしてもらいました。
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by kikutukuri | 2009-12-17 22:07 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)

入院

どんな手術よりも、気楽な思いで、私としては休暇のつもりでの入院でした。
手術の前日の午後から入院です。
夫の従姉妹のよし子さんに、「少し気楽に考えていすぎるよ。」と言われていました。
でも2週間、きっと退屈でたまらないだろうな~と考えて、編み物や。本、パッチワークも車に積み込みました。
自分で車で行くのだから、外出許可が出たら、近くの大型スーパーの本屋や手芸店へ行こうと、まるで遊び半分の気持ちでした。
台風の片付けで忙しい夫には、「無理して病院へ来なくても良いからね。」と言いおいて、「行って来ます~!」と出掛けました。

5月に高校時代のお友達が、胆石の手術をしたそうです。
手術そのものは、今では体に負担のないように簡単に出来るそうですが、麻酔の切れ方で年齢を感じたと言っていました。

午後からの手術前に大腸の内視鏡検査をしました。
これは検査をしたことのある、お友達に「あんなに辛いものはない。」と聞かされていたので、私はその先入観があったためか、案外簡単に思えました。(*^^)v

手術は麻酔が覚めたら、痛かったです。(@_@;)
夜中にかなり唸っていたらしく、同室の人がナースコールを押してくれたらしく、痛み止めの注射を打って貰ったことを覚えています。
でもこの痛みが落ち着いたら、快適なのんびりの入院生活の始まりのはずでした。
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写真はお見舞いに来てくれた拓ちゃん。
拓ちゃんは病院が嫌いなので、バァバのベッドに座らせたら、泣きました。
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by kikutukuri | 2009-12-14 23:22 | 老いと道連れ(終活) | Comments(6)

大地主から小作人へ

11月の初めから終わり頃まで入院していました。
本当はこんなこと書くのをよそうかと迷っていたのですが・・・・・。
我が家で取っている中日新聞のサンデー版は大図解シリーズで様々な特集が載っています。
今回は大腸のことでした。
特に近年女性の死亡率のガンのトップは大腸癌とか。

私は癌ではなく、大地主(痔主)だったのですが、これも毎日を快適に生きていくためには大切なことだと思ったから、書くことにしました。
人だけでなく動物も、魚も、虫も生きていくためには食べるし、排泄もします。
これがスムーズにいかなくなったら、大変なことです。
私も病院に行くには抵抗があり、市販のお薬でごまかしていました。
でもどうにも痛みが酷くなり、意を決して「肛門科」を受信しました。
自分ではそんなに酷いとは思っていなかったのが、お医者様に「今なら8月にキャンセル空きがあるから、手術しましょう。」と言われてしまい、ショックでした。
私は自分も痔主であることは分かっていたけど、それは棺桶まで持って行くつもりでしたから。
その旨を、お医者様に告げたところ、「まだ今は良いけど、あなたがもっと歳を取って、介護を受けるようになったら、あなたが一番辛いよ。歳を取ると便秘しやすくなるからね。」と言われてしました。
出来ることなら最後まで自分のことは自分でやって終わっていきたい・・・・それは誰しもが思うことです。
でも、こればかりは自分の意思だけではいかないことです。
そんなことを考えると、これも「老い支度」の一つかと手術を受けることを決意しました。
でも8月はお盆の月で何かと忙しい上に、我が家の仕事のかきいれ時なので、11月まで伸ばして貰うことにしたのです。
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by kikutukuri | 2009-12-13 21:56 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)