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田舎のおばさんの日々の暮らしを綴っています。ハンドルネームは菊です。


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カテゴリ:老いと道連れ(終活)( 35 )

hazukiルーペ

仕事の忙しいのが一段落すると、その反動で自分にご褒美をあげたくなる。(笑)
お店に出かけなくても、ネットで買うことが出来るから便利だ。
今回も、いつも利用している手芸材料のショップで、バーゲンをやっていたので、キルト綿や、糸、金具などを少し大量に買った。(もうこれで、材料は買わないと、心の中で言い訳しながら。笑)

そして、以前から気になっていた「hazukiルーペ」も。
ヘッドルーペは持っているけど、頭の所で、バンドで止めるタイプなので、夏は暑いし、レンズも使用目的に合わせて取り替えなくてはいけない。
「hazukiルーペ」はTVのコマーシャルで見て、気になっていた。
楽天で探したら、かなりお安く買えるのを見つけた。
もうこれは、買うしかないでしょう~!

届いたhazukiルーペ・・・・期待以上でした。
最近は右目は中心がよく見えなくていたのだけど、これをかけると、細かい文字は無理だけど、まあまあに見える。
両眼で見れば、すっきりと見える~!
新聞も、細かい文字の説明書も、ストレスが無く見える。
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by kikutukuri | 2013-08-01 20:53 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)

ipad

お昼のちょっと休憩の時や、夕食後に、ipadをあちこちいじっている。
だんだん慣れてきた。
使いこなすのは、まだまだ遥か先のことだけど、パソコンより、緊張感がなくさわることができる。

パソコンは一つのプログラムをきちんと終了しないと、いけないけど、ipadは、分からなくなったら、ホームボタンを押して終了すればいい。

無料のアプリも幾つかダウンロードした。
ゲームに嵌っている。

写真も簡単に撮れた。これは大きな画面なので、みんなで眺めて楽しむことが出来る。

料理などは、パソコンだとプリントアウトするか、メモらないといけないけど、ipad
なら、そのままキッチンで見ながら使える。

映画もレンタルした。
古いミュージカルで、高校生の頃に見た映画を見つけた。
買うと2000円、レンタルなら400円。
いくら好きな映画でも5回は見ないでしょ!だったらレンタル。
ダウンロードしてから35日間有効で、見始めたら48時間で終了になる。
もう少し、時間に余裕が出来るまでのお楽しみだ。

パソコンはパソコンの良さがある。

でも、もっと歳を取って、パソコンが億劫になったときにipadは良いだろうと思う。
何より、画面を大きくして見ることが出来るので、これから先の私の目にはありがたい。
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by kikutukuri | 2013-07-26 00:47 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

眼鏡ホルダー

ビーズが沢山ある。
ビーズは娘達に影響されて、パソコンより前から嵌っていた。
ネットをするようになって、色んなビーズをネットで格安で買えるようになり、ガラスビーズだけでなく、淡水パールや石のビーズも集めた。
でも、今はビーズは目に辛い。
拓ママに、「ビーズ全部あげる。」と言ったら、ちびちゃん達が何をするかわからないので、怖くて要らないと、受け取り拒否された。
次女にはまだ聞いてない。
好きで集めたものだから、この際、凝ったものは作らないで、単純に糸に通すだけで、グラスコードを作ることにした。
淡水パールと、スワロのビーズをワイヤーに通す。
ビーズの穴なんか見えていません~!
細い針金だから、勘で何とか通すことが出来る。
サンゴのビーズも活用しよう~。ちょっとエスニックで良い感じ。
私は今、サングラスを3つ使い分けている。
普段、外へ出るときはスポーツ用の極薄い色のサングラス。
眼科にかかった帰りは、検査で瞳孔が開いているので、濃いサングラス。
それとウオーキング用のサングラス。
ウオーキング用のサングラスを買った時に、おまけにグラスコードがついてきた。
それが、サングラスを外した時に、とても重宝したので、作りたいと思っていたのだ。
でも口の悪い知り合いに、「な~に、その有閑マダムみたいな恰好は。」と言われた。
「必要にせまられてサングラスをかけているの。別にあなたに迷惑がかかるわけではないでしょ。」と言い返した。
私も強くなったな~!(笑)
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ついでにブレスレットも二つ作りました。
作るのは好きだけど、あまりアクセサリーはつけないけど、夏にブレスレットも良いかな。
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by kikutukuri | 2012-06-19 22:20 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)

入院生活・・・2

Nさんは元気なおばぁちゃんで、私は入院中は、Nさんのことを「おばさん」と呼んでいた。
お嫁さんが良く気遣いの出来る人で、1日分のパジャマや下着をタオルでくるんで、入院日数分作ってあった。
そして、退屈しのぎのちょっと甘い物に、甘納豆や、クッキーなどを少しずつ何種類も入れてあった。
私とTさんは、「よく気がつくお嫁さんだね。」とほめると、「実家の親を介護したから経験があるからね。」と言ったけど、なかなかそこまで気を配る人はいないよねと話した。
Nおばさんが、家族に大切にされていることがよくわかった。
元気なNおばさんは、それでも病院のお風呂に一人で入るのは怖いと言って、「じゃあ私と一緒に入ろうよ。」と二人で入った。
Tさんもさそったら、「お湯が溢れて無くなってしまうよ。」と笑った。
入院中にしっかりやらなくてはいけないことに、目薬がある。
薬剤師さんが、表を作って薬のふたの色をカラーコピーで、指し間違えの無いようにしてくれた。
私が一番若いから、号令をかけることにして、「右目に赤いふたの目薬」「次は黄色ね。」と言っては指した。
時々間違えるので、「若いから一番しっかりしていると思ったら。」と笑われた。
私はよく病室も間違えて、隣の部屋に入ってしまうことがあった。
慌てて戻ってくるので、「また間違えた。」と笑われた。
Tさんのお見舞いのお客さんは多くて(詩舞の先生をしているのでお弟子さんやお友達がひっきりなしに来ていた。)、そのたびにお見舞いに頂いたお菓子や果物のおすそわけを頂いた。
イチゴ、バナナ、ワッフル、草もち、桜もち、ういろう、ケーキ・・・全て胃の中に入れていたら凄く太ってしまう。
Nおばさんの、〇城市の大正時代や昭和の初期のにぎわいのあったころの話は、とても面白かった。
水を汲みに行くときに通る町なので、親近感が持てた。
林業で材木が売れた頃の話は、今は輸入外材ですたれてしまって、町も活気が無くなって、シャッターの降りている店ばかりだと嘆く。
どこのお店のランチが美味しいとか、最近の色んなことも沢山知っている。
実家の母もこのくらい元気なら良いのにと思った。
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by kikutukuri | 2012-03-04 22:21 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)

白内障の手術・・・・1

白内障の手術をして1週間・・・術後の検査に行って来た。
考えてみたら、目が何となく見づらくなって、病院通いを始めたのは、あの「3・11」の頃だった。
それまでも、内科でかかっている総合病院の眼科では、定期的に検査をしてもらっていた。
かすんで見えにくいとか、目に小さなゴミのようなものが見えると訴えても、その眼科医はあまり真剣に聞いてくれなかったし、目薬も処方してくれなかった。
震災のニュースのTVのテロップの字が見えなくなって、これはただ事ではないと、別の眼科医院に行った。
白内障がかなり進んでいるし、目の奥に別の病気があるようだと言われて、とてもショックだった。
総合病院の眼科はそれまで2人の医師がいたが、その頃は一人で週に2日の診察で、もの凄く混んでいた。
予約をして3時間待って、診察は1~2分で、質問しようとすると、次の患者さんが呼ばれて入ってくる状態だった。
忙しいのなら、他の眼科に変わることを言っても良いのにと、情けないのと腹が立った。
個人の開業医の先生は、(そこもとても混んでいたが。)うちでは精密な検査が出来る機械がないからと、病院への紹介状を書いてくれた。
紹介状を貰っては、病院を代わり・・・・待合室では震災のニュースと、こんにちは、ありがとうの歌とウサギやライオンのアニメ、仁科明子さんの子宮がん検診が繰り返し繰り返し流れていた。
そして、今回手術をして頂いた病院に行きついた。
でもどこの病院も、私が初めかかっていた病院とは比べ物にならないほど、親切で丁寧に説明してくれたし、紹介状も取りに来るのは大変だろうからと郵送してくれた。
目の奥の病気は「卵黄様黄班変性症ジストロフィー」と言う病気で、加齢黄班変性症と良く似ているけど、それより下の膜で、今のところ、治療法がないとのことだった。
加齢黄班変性症なら、レーザーで焼いたりして治療が出来るのだそうだけど。
私の病気は進行はしていくけど、急激にではなく、じょじょにだそうだ。
医学書の写真や、眼球の模型で説明してもらった。
私にとって、とても絶望的な宣告であったはずだけど・・・・・。
自分でも驚くほど冷静に、それを受け入れた。
「3・11」が多分に影響していたと思う。
あの津波の映像や、震災の大きさを知るにつけ・・・・・生きると言うことは、何と理不尽なことを受け入れなければいけないのだろうと思った。
自分がこの年になるまで、多少の病気はしても、まあまあ健康で生活してきたのだし、これから先、多少の不便はあっても、なんとか自分のことが自分で出来ればよいではないか。
考えてみれば、子育ても終わり、もう老後である。

白内障の手術は、目の奥の病気を刺激すると怖いので、暫くは、目の奥の病気の経過観察をするということで、毎月検査に通うことになった。
そして進行していないので、白内障を手術することになった。
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by kikutukuri | 2012-02-27 22:23 | 老いと道連れ(終活) | Comments(6)

入院生活・・・・1

入院生活は、とても楽しかった。
同じ日に手術した、おばさん3人同室で、毎日おしゃべりをしては笑い転げていた。
Nさんは86歳だそうで、しっかりしていて10歳は若く見えるおばぁちゃん。
Tさんは私より少し上で(年齢は教えてくれなかった。)詩舞の先生をしているそうだ。
目の手術なので、手術前でも普通に食事が出来たし、術後1時間安静にしていればよいのだ。でも3人共とても緊張していた。
私は、入院前に外来で、隣に座った私と同年代の男の人から、「水を目に掛けられて、眩しい光を見ていたら終わってしまった。時間にしたら10分くらいで痛くなかった。」と聞かされていたので、落ち着いていた。
手術着に着かえて、点滴をしながら、車いすでオペ室に向かう。
私が一番目に手術だった。
本当は気が小さい私は、一番でラッキーだと思った。
血圧計を腕にまかれ、心電図のシールを胸に貼って、手術台に横になる。
水を目にかけられている感じで、水底から、眩しい光を見ているようだ。
ちょっと不快感がしたけど、こんなこと?というくらいで手術は終わり。
車いすで病室に連れて行かれる時、オペ室の前で不安そうな顔したTさんが自分の番を待っていた。
私は思わず笑ってピースをした。
後からTさんに、私の様子を見て、心配するほどではないのだと気が楽になったと言われた。
Nさんは、病気とは無縁で、入院するのは初めてだそうで、初めのうちはとても緊張していたので、送って来た家族の方達がなかなか帰ることが出来なかった。
実家の母より2歳年上なので、「実家の母と同じだから、母だと思って見ていますから大丈夫ですよ。」と言ってあげた。
右目の手術が済んで、左目は3日後だ。
私たちがいたのは眼科の病室なのだそうだけど、内科のSさんがいた。
ずっと一人でいたので、やっと仲間が出来たとうれしそうだった。
Sさんは70歳だそうで、暮れに意識を失って、それからずっと入院しているそうだ。
糖尿病で、インシュリン注射を自分で打たなければならず、それに慣れるまで退院は出来ないのだと言っていた。
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by kikutukuri | 2012-02-27 20:47 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

やっと

ブログを留守にして、2か月近くになります。
仕事も猛烈に忙しかったし、精神的にも参っていて、ネットをする気にならなかったのです。

仕事も何とか片付いてきて、お彼岸用の菊の出荷が始まるまでの、しばしの自由です。

最初からトラブル続きの、シルバーハウスも、やっと完成し、家の鍵ももらって、我が家の実感が湧きつつあります。
もう、思い出したくないほどのストレスの連続でした。
怒りをどこへぶつけたらよいのか分からないし、所詮は田舎のおばさんの怒りなど公的な機関では取り上げて貰えないでしょう。
よく考えれば私憤ではあるけど、公憤でもあるのですが・・・。
私達と同じような経験をして、怒りのある人でも、みな泣き練りしているのでしょうね。
長い物には巻かれろ・・・なんですね。(年より臭く、悟ったようで嫌なのだけど。)

嫌なことも断捨離しましょう~!

老後を楽しく、穏やかに過ごすための「終の棲家」づくりでしたから。
今よりもっと年を取って、体の機能が低下しても、自分のことは自分で出来る為の、生活動線に無駄のない家づくりでした。
こちらの希望をよく聞いて貰えた、家づくりでした。

本当はもっと早く完成の予定だったので、朝顔で緑のカーテンをするつもりでした。
ストレスで待ちわびた間に、母屋の前で咲いた朝顔です。
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by kikutukuri | 2011-08-31 15:03 | 老いと道連れ(終活) | Comments(0)

リサイクルショップ

どうしても捨てられない本と、押し入れの中に溜まっている使いそうもない頂き物を、ブック〇フとリサイクルショップへ持って行った。
最初に市内のリサイクルショップへ。
結婚式の引き出物のティーセット、お盆やシーツ、タオルの詰め合わせ。
もう何年前の物か分からない。
引き取ってもらえなければ、捨てる決断もつく。
デザイナーズブランドのシーツは、箱にしみがついているし、シーツも少し変色しているので、買い取りは出来ないので、処分してくれるそうだ。
4点で470円。
捨てるには惜しいけど、不用品だったのだから、すっきりして、まっ、いいか~!

豊橋のブック〇フまで、夫に車を走らせてもらう。
「ガソリン代にもならないかもね」と言いながら。
ハードカバーの本が40冊位、文庫本が50冊、古典文学全集全27巻揃い、
谷崎潤一郎の源氏物語8巻。
ほとんどの本は捨てたけど、比較的新しくて綺麗な本と全集はとても捨てられなかった。
ブック〇フの店員さんの言うには、ハードカバーの本は余程最新作で話題性のある本でないと売れないのだそうだ。
文庫本も2~3年前くらいのものまでで、それ以上古いと商品にはならないのだと。
結局買い取り対象になった本はほんの数冊で、しめて340円也。
夫が「これで、本の執着心が切れただろう。捨てる踏ん切りがついて良かったじゃないか。」と言う。
持って行った本は、ブック〇フで処分してもらうことにした。
お金は問題ではない、本の命を全うしてやりたいという思いだったけど・・・正直言ってこんなものと気が抜けた。
考えてみれな、今の時代、本を読む若者はあまりいないのだろう。
本屋さんでもコミック本がスペースを占めているし。
電子本なるものがあるから、本屋へ足を運ぶことも少なくなってきているのだろう。
文学全集とか古典文学なんて、化石に近いのかもしれない。
私の本を大切にしてきた思いは、時代のニーズに合わないのだ。

「処分したお金で豪華なランチでもと思ったけど、安い所で一人分のランチ代だけだね。」と言ったら
「買い取った本でも売れる保証はないのだから、十分だよ。」と夫が言う。

ちょっと寂しいけど、すっきりしたのも確かだ。
買い取りして貰えなかった「源氏物語」だけは持ち返った。
でもきっと、もう読まないだろうな。
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by kikutukuri | 2011-07-10 17:22 | 老いと道連れ(終活) | Comments(4)

断捨離・・・1

必要に迫られて断捨離をしている。
身の回りの不用品を整理しなくてはいけないと言う思いはあって、昨年から随分片付けてきた。
でも物は増える。
そして、今回の大震災・津波があってから、その意識はストップしてしまっていた。
あまり物を買うことも、欲しいという気持ちも無くなり、在る物を利用して生活しようと思うようになった。
でも、今はそんな呑気なことは言ってられなくて、横屋の解体の必要に迫られて、早急に処分しなくていけなくなった。

同世代のお友達と話しても、私の世代は物を捨てられない世代だと思う。
親世代が、子供時代や青春時代は戦争中、子育ての頃は戦後の物の無い時代を過ごしてきたため、常に「物を粗末にしてはいけない。」と教えられて育ってきたからだ。
そして、私たちの子世代は、物が豊かな時代に育っているので、物に対する執着心が無いように思う。

「勿体ないな~。取っておけばまだ使う機会もあるだろうに。」・・・そんな思いで、ゴミ袋の中に入れたり、リサイクルゴミに出すべく支わけをする。

私が一番捨てられないものは本だ。
読み返すことも無く、本箱や押し入れの段ボールの箱におさまっている本。

その一番が「栄養と料理」の本。
私が高校2年の頃から、結婚するまでの毎月、父が買ってくれたものなのだ。
小学生のころから、毎月、父は学習雑誌を買ってくれた。
高校生になったころから、家業の景気が悪くなり、私は大学進学を諦めた。
高校生の学習雑誌は、大学進学のことばかりだった。
私は「どうせ、大学には行かないから、学習雑誌はもう要らない。」と父に告げた。
今にして思うと、なんと残酷なことを言ったのだろう、父はどんな気持ちでいたのだろうと、申し訳ない思いになる。
「それなら、料理雑誌を買ってやろう。お前もいつかは嫁にいくのだから、料理が上手な方がいいからな・」と言った。
結婚して、暫くしてから、実家に置いてきた「栄養と料理」の本を全て送って来た。
結婚した月の、新しい本が入っているのを見つけた時、涙がポロポロ出た。
自分が大切に育てて貰ったのだと思った。
でも口に出して感謝の言葉を言うことも無かった。
捨てられないけど、これから先も読み返すこともないだろう。
栄養情報だって、40年以上前と今では全く変わってきている。

本を紐でしばりながら、パラパラとページを繰ってみる。
「節約おかず」の特集があったり、「たんぱく質の豊富なおかず」がある。
今の飽食の時代では、カロリーをいかに押えるがテーマの料理が多いのに。
時代の移り変わり、歴史を感じる。

「父さん、ごめんね。でも結構、本は活用したよ。もう処分しても良いよね。」
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by kikutukuri | 2011-07-05 00:27 | 老いと道連れ(終活) | Comments(6)

認知症

先日、叔母から電話があった。電話があったのは、父の一番下の妹の叔母で、父のすぐ下の妹の叔母のことだった。
「どうも認知症らしいのよ。」と言う。
そして、「もし電話があっても、あなたも話を会わせてね。昔の楽しかったことを思い出して、それが今の現実と一緒になっているのだと思うから。」と言われた。

今日はお友達が訪ねてきて、色んなお話をしてとても楽しかったと言うので、初めのうちは、叔母の家族は家族の留守に誰か訪ねて来たのかと思ったらしい。
それがたびたびで、見たところ誰も来た形跡もない。

「今にお迎えがくるから、身の回りを片付けなくては。」と箪笥から衣類を取り出すけど、部屋に広げたままになっている。
綺麗好きで、いつもちゃんとしていた叔母にしては考えられないことなのだ。

主治医の先生が、「おばあちゃんの言うことに逆らわずに、あわせてあげた方が良いですよ。」と言われたそうだ。
そして叔母の家族も、叔母が穏やかな気持ちで過ごせるように、叔母にあわせることにしたそうだ。
私はそれを聞いて、暖かい気持ちになった。

叔母の人生を思うとき、随分悲しい思いをしたのだろうけど、いつも穏やかな話し方をする叔母に、私も叔母のようになりたいと思っていた。

ことさら、「おばあちゃん、またそんなことを言って。誰も来ていないわよ。」と言うより
「そう、楽しかったね。」と会わせた方が良いと思う。

年老いていくことは残酷なことだと思っていた。
誰もが、体が不自由になったり、認知症になりたくないと思っている。
でも、それは本人の自己管理が出来てないとか、不注意とかでおこるものではない。

叔母から電話があった。先日送ったお菓子のお礼の電話だった。
「あなたが作った大嶋の小物入れ、あれを見たら泣けてきてね。
あの大島のハギレの中におばあちゃん(叔母の母、私の祖母)の着物と同じ柄が2枚あったのよ。
私が縫った着物だったから、懐かしくてね。」
それから、思い出話をして、「さっきもね、お友達と電話で話していたの。ここまで長生きしたのだから、死ぬまで元気でいようねって。」
最近は電話も出るのが嫌だと言ってと、家族からお礼の電話があったばかりだった。
虚構であっても、現実であっても良いよね・・・おばちゃん。
楽しそうに話しているのだもの。
「そうよ。元気でもっともっと長生きして。」
「あなたも忙しいのだから、無理しないでね。」と叔母の電話は切れた。
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by kikutukuri | 2011-06-30 22:28 | 老いと道連れ(終活) | Comments(2)