読書

最近、老眼が進んだのか、細かい活字を見ると目が疲れる。
図書館で、大きな活字の本を借りてきた。
本も大きいし、何だか教科書のような気がした。
沢村貞子さんの「わたしのおせっかい談義」で、これは講演会のスピーチを本にしたものだ。
沢村さんはもうお亡くなりになっているが、読んでいると、歯切れのよい語り口のしゃっきりとした沢村さんが浮かんでくる。
最近、私の中でもやもやしていたものが、この本を読むことで解消されたような気がする。
「ほどほど」「分をわきまえる」の言葉が随所の出てきて、自分を良く知って、生活を大切に生きられた方だなと思った。
特に、「いきがい」については、私の中の霧が晴れたような気がした。
いきがいはおおきなものでなくてよい。小さな点の積み重ねでというのが。
それは自分だけでなく、母や叔母にもどうしたら「いきがい」を持って貰えるかと思っていたから。
でも考えてみたら、自分のいきがいさえ分からないのに、何とおこがましいことを思っていたことか。
母や叔母に時々「お楽しみ」と送る、お菓子や本、小さな手芸品も、少しは「楽しい」とか「懐かしい」という感情の小さな点になってくれれば嬉しいけど。
そして「今度は何を送ってあげようか。」と考える私も、小さな点の喜びを感じているのだから。

自分の年齢を改めて思うとき、「私は自分が何をやりたかったのだろうか。」と自分に問いかけては、何もしない人生だったのではと落ち込んでいた。
若いころ、寝食を忘れるほど打ち込める何かを探していた。
幸せとは、その何かに向かって走っているときの緊張感だと言って、友達を呆れさせた。
でも何かを見つけられないままに歳をとってしまったような気がしていた。
そして年甲斐もなく青臭い思いを自嘲してもいた。
そうか、小さな点のいきがいなら、私だっていっぱい持っている。

まずは自分の老化も受け入れよう。
そして手の届く、小さな点をいくつも集めよう。
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by kikutukuri | 2010-04-10 22:35 | つれづれ | Comments(0)